今日も雨。
ほんの少し前までの暑さが嘘のようです。
お天気はよめないものですね。
晴れたり、曇ったり、風が強かったり、
毎日同じかと思えば、一日の間でクルクル変わったり、
いくら天気予報のための研究が進んだとしても
かならず「えー!天気予報ではいってなかったのに。」
ということがおきるでしょう。
人の心も同じです。
「いつも元気」な人が、誰から見てもいつも元気か、
これまでも元気だったのか、これからも元気なのか、
それはまったく予測不可能です。
本人が「元気」といっていても
周りにはそうみえなかったりもするわけで、
そういう意味では、大体の人が空を見上げれば
「今日も晴れてるな」とか共通の見方ができる天気よりも
人の心はずっと複雑です。
この予測不可能な心ですが
それを「たしかなものなどなにもないのね」
とあきらめてしまうのはちょっともったいない。
百人一首の
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」
という小野小町の歌にあるように、
うつろうこと、変わることのむなしさや悲しさは
語り継がれるほど趣きのある情緒です。
相手の心がわからなくなっても
自分の気持ちさえみえなくなっても
それはとても当たり前。
そこでの寂しさや哀しさなど、深い情緒を体験することで
人は変わっていけるのでしょう。
それにしても、
自分の嘆きを歌に変えてしまう小野小町は強いですね。
予報や予測はあくまで現時点からの見え方です。
それが「当たった」か「外れた」かより、
間違うこと、変わることに対する寛容さと勇気を。
未来はわからないからこそ可能性に満ちているのですから。