2011年12月9日金曜日

今年最後です。

こんにちは。日本海側は雪の予報もでていましたけど
東京はそれほど寒くないですね。

震災から9カ月が過ぎて
被災地のみなさんたちはどうされているのでしょう。
東北には冬を越すために
歴史的に積み重ねられてきた
たくさんの智慧があるから
私なんかが想像するより
ずっとたくましく生活されているのでしょうか。
現状を知ったり、心配したりしかできませんが、
穏やかに年末年始を迎えられますように。

カウンセリングルームも今年は今日が最後です。
みなさんにとって、今年はどんな一年だったでしょうか。

専門学校特有の数々の試験に合格されたみなさん、
今年はいい結果がでなかったみなさん、
みなさんが進む道にはいろんな出来事がありますね。
それがどんなものであれ、
みなさんはそこで固定されてしまうなにかではない。
もっとずっと変わりゆく人たちです。

どうかひとつひとつの出来事が
みなさんの可能性を広げてくれますように。

どうぞそれぞれ素敵な年末年始をお迎えください。
(クリスマスもね!)
来年、お会いできるのを楽しみにしています。

追伸:駅伝にでるみなさんもがんばってくださいね!

2011年11月11日金曜日

背景

みなさん、こんにちは。
いいお天気ですね。

ランチタイムはごはんを食べにでる人をたくさんみかけますが、
みなさん上着も着ずに、名札もさげたままで、
仲間と一緒に楽しそうです。
御茶ノ水は学生の街でもあるけど、
社会に出てもリラックスしたときの表情は若い子たちと
変わらないものですねえ。

だからなにというわけではないのですが
力が抜けている姿をみると
こちらまでホッとした気になるし、
なんとなく空気が明るくなる気がして。
いいなぁ、と思いながら歩いてきたわけです。

この時期は木々が赤や黄色に彩られてるから
なおさら人と景色がなじむのでしょうね。
この時期なら、暗くても、悲しくても、ピリピリしてても、
景色がそこに素敵なストーリーを与えてくれる気さえします。

いつもいろんな表情をみせてくれる皆さんですが、
それも背景によってずいぶん違ったふうにみえるのかもしれません。
ときにはみなさんも、ただそのまま、無理をせず、
自分の見え方を周りの景色に委ねてみるのもいいかもしれません。
そうすると逆に、意外としっくりくくる自分が見つかったりして、
と思ったりもします。

週末もよいお天気みたいです。
どうぞお元気でいらしてくださいね。

さからわない。

こんにちは。雨ですね。
11月の雨も「秋雨」っていうのかしら・・・。

雨だし、寒いし、濡れるし、荷物重いし、
とかぶつぶつ言いたくなったり、
こんな日はなんとなく気持ちがどんよりしがちかもしれませんね。
私は今日、そんな気分でしたよ。
でもふと顔をあげたら紅葉がしっとりきれいに色づいていて
ちょっと「ごめんなさい」と思いました。

自然ってすごいなと思うのは、
なによりもその静けさと力強さに対してです。
私たちが癒され、守られ、ときに脅かされる自然。
わたしたちが自然から学ぶべきこと。
まずそれは何よりも自分に与えられるものにさからわない、
ということなのかもしれません。

私たちは、
貪欲になるのも迎合するのも拒否をするのも自由、
という権利をもっていますが、
自分の本来の気質や体質などの性質に素直でいることは
果たしてできているのでしょうか。

今の問題に対処していくこと、
やるべきことをやっていくことは大切でしょう。
でもそれは今の、そしてこれからのみんなにとっても
幸せなことでしょうか。
たまーにそんなことに迷ってみるのも
秋らしくていいかもしれません。

どうぞお身体に気をつけて。
少しずつ冬を迎える準備ができるとよいですね。

2011年11月4日金曜日

体験

こんにちは。いよいよ11月!
と思ったけど、11月ってそんなに特別な感じしないですよね。
そうでもないですか?
暖かかったり、寒かったり、お洋服のチョイスも難しいし・・・
あっ!そういえば、紅葉がありました。

紅葉はそれまでの日光や温度など、
木々にとって、いわば体験の総決算?
集大成、というのでしょうか。

みなさんと同じですね。
専門学校は日々の勉強が
そのまま反映してしまうから大変ですよね。

でも反対に、分野がしっかり決まっているから
地道にやっていただけなのに
自分でもびっくりするくらい良い結果を出せた、
という人もいますね。

もし木だったら
「こんな日当たり悪くて寒かったのに
気にしてなかったらわりといい色になったぜ」
みたいな感じでしょうか。

結果というのはいつも予測不能ですが、
体験の積み重ねが大切なのはたしかでしょう。
でもその体験も「こうすればいい」みたいなマニュアルはなく、
結局はみなさんが様々な人や状況に出会うなかで
自分で選びとった行動の連続でしかありません。

選ぶ権利は自分にある、と考えるか、
誰も決めてくれない、と嘆くのか、
それもみなさんが選ぶことです。
難しいですね。

でもそれまでのプロセスを助けてくれる人はたくさんいます。
今すぐに出会えなくても、
自分が誰かを本当に必要とするときは
意外と近くにいい相手がみつかったりするものです。

体験の積み重ねは確実に力になりますが
結果にすぐにつながらないとなれば
いろんなことは運だめしみたいなものかもしれません。
いいこともあれば悪いこともある、
その繰り返しのなか、
いつのまにか変化している自分に
気づいてあげられるといいですね。
きっとそれは以前より少し成長したみなさんの姿だと
私たちは願っていますし、
そういう姿をこれまでもたくさんみてきました。

どうぞがんばって。
応援しています。

2011年10月21日金曜日

通過点

こんにちは。
今日、いつもの散歩道を歩いていたら
木が剪定されているところでした。
そういう時期なんですね。
冬がやってきます。

みなさんも試験がはじまりつつありますね。
宅建もお疲れ様でした。
試験は色々と大変ですよね。
体力もいるし、精神的にもつらいこともたくさんあると思います。

試験なんてひとつの通過点だ、
と誰もがわかっているのに
私たちはまるでそこをゴールかのように
悩んだり、一喜一憂したりします。
体調を崩してしまう人もたくさんいますよね。

もしそれがどうしてもほしいものへ通過点だったら
それはどうしても通らなければならない場所でしょう。
でも多くの場合、その通過点はなんとなく
向こうからやってきて、私たちは受け身的にそれに出会うのです。
だから私たちは必要だと感じつつ、
やりたくない、進みたくない、もう限界だという
気持ちと戦うことになるのでしょう。

自分が本当に欲したものでなければ
私たちは強く求めることはできません。
反対に、本当にいらないものであれば
苦しい想いをしてまで、手を伸ばしはしません。

では、私たちはなんのためにつらくて苦しい思いをするのでしょうか。
たぶん、それは私たちが常に未来に懸けているからでしょう。
いつか欲しくなるかもしれない、いつかいらなくなるかもしれません、
未来の選択肢を増やしておくために
私たちは今、悩み、苦しみ、先をめざすのでしょう。

どうぞぜひがんばってください。
いつも応援しています。

2011年10月14日金曜日

見習い

こんにちは。10月も半分が過ぎました。

私は、電車に乗ると、
一番前の車掌室にはりついているのが
結構好きなのですが、
今日は、「見習い」の腕章をした車掌さんが
「指導係」のひとたち3人に囲まれて
操縦をしているのをみることができました。
あれは緊張するでしょうね。
ただでさえ狭い車掌室はギュウギュウ、
ストップウォッチをもった指導係に
あんな間近で自分の仕事ぶりをみられるだけ
かえってミスが増えそうです。

でも見習い中にそういうプレッシャーに慣れておかないと
こんなにたくさん人をのせるという大仕事に
耐えていけないものなのかもしれませんね。

みなさんもこれからいろんなところで
いろんな指導を受けることでしょう。
「こんなのは本当に必要なのか?」
という指導もあるかもしれません。
でもものは考えようです。
見方をかえればいろんなものは必要だし
いろんなものは不必要だし、
あっていたりまちがっていたりするのです。
私はそう思います。
もしどちらかにしか思えなくなってしまったら
それはちょっと危険信号です。

常に、ほかの可能性を考えること。
そのなかで自分の責任で考え判断していくこと。
カウンセリングルームはそのお手伝いを
していきたいと思っています。
どうぞお気軽にご利用ください。

2011年10月7日金曜日

自分も相手も。

こんにちは。
今日はすっきりした秋晴れですね。
体調を崩したりしていませんか?

今日みたいに暖かい日はなんだかとてもホッとします。
私は冷え症なので、冬がくるのが憂鬱でたまりません。
これまで様々な冷え症対策をしてきましたが
どうしてもその場しのぎになってしまうのは
仕方ないですね。
そんなに簡単に体質が変わってしまうのも怖いですし。

それにしても不思議なことに
私が自分は「冷え症」だと知ったのは
大人になってからです。

小さい頃から、冬になるとしもやけがひどかったり、
人から触られると冷たくてびっくりされたりしていましたが、
「こころがあったかいから」で呆れられておしまいでしたし、
どんな寒い日も元気に外遊びしていました。

なのに「冷え症」と言われたからなのか、
こういうものが「冷え症」なのか、
と知ったからなのか、
対策などとってしまったり
すっかり弱々しく(?)なってしまいました。

熱を測って「高熱」とわかったとたんに
寝込むという人もいますよね。
それと似たようなものです。

子どものころは、
体調が悪かろうがなんだろうが
やりたいことが常に優先されていた気がするのに、
今は簡単に言葉のほうに合わせてしまっている気さえします。

この前も書いたけど、
人から言われたり、何かを知ってしまうことで、
「まだイケル」という自分の可動域を狭めてしまうとしたら
それはなんだかもったいないことのように思います。

もちろん自分で見誤ったり、感覚を鈍らせて、
無理して、自分を壊してしまうことは
とっても怖いことですけど。

自分を信じるか、相手を通して自分を知るか、
両方とも大切ですね。
そもそも自分は相手を通して生まれてきたわけだし。
かといって、もはや自分は自分だけの自分だし。
難しいけど、失敗しつつ、
最大限、自分を生かせる場所をみつけていけるとよいですね。